(66)サイクルジャージを買いに行って、聞こえた言葉。「決まった形はない」。

サイクルウェアを買いに来た。
あらかじめ何を買うか絞っていたので、売り場に目当ての物があることを確認した後、それ以外のウェアも一通り見て回る。
シューズやグローブに関しては、既に持っていたので買う必要は無かったが、それらもどのような新商品があるのか見ておきたい。
お店全体の商品を見ないと、せっかく来たのにもったいない気持ちになる。

ジャージの売り場は、一部、セール品コーナーがあり、それ以外は各メーカーごとに商品が陳列されている。
俺がたまたまシューズ売り場の近くをうろついた時、そこに、スーツ姿で眼鏡をかけ、すらっとした若いお兄さんがいた。
彼に対して何も興味を持たず、ハンガーを掻き分けてジャージをチェックする俺。
夢中になってジャージを見ていると、近くで「初めてウェアを買うんですけど、何と何を揃えなくてはいけないですか?」という声がきこえた。
シューズ売り場にいたお兄さんが、店員さんに聞いている。
「俺には関係無いわ」と思ったが、次に聞こえた話し声に俺は魂を揺さぶられる。

「決まった形はありませんよ」。
女性店員さんの声がきこえた。
俺としては、基本となる形は、あることはあると思う。
寒い時期なら、ジャージ1枚ではなく、その中にアンダーウェアを着る。
更に寒ければ、ジャージの上にジャケットを羽織る。
暑い時も同様に何か工夫をする。
メーカーによっては、「この温度ならこの商品をおすすめします」と親切に伝えてくれているケースもある。
ただ、女性店員さんもそんなことをわかった上で、お客さんに言ったと思う。
「決まった形はありませんよ」と。

「サイクルウェアは、道具ではなく、モードだ。生き方そのものだ」と、俺は妙に感心してしまった。
さすがに「決まった形はない」と言っても、厳寒の時期に半袖ジャージ1枚で走る人はいないだろうが、だからと言って、メーカーが指定した通り、みんなが着ている通りにしなくてはいけないルールはない。
普段、人と接していて、「みんながしてるからいい」、「雑誌に書いてるからいい」という価値観で生きている人を、俺は凄く気持ち悪いと感じている。
「こいつは、安くて替えがきく」と思っている。
俺は、「自分でものを考えることができる」「自分でものを感じることができる」、そして、「自分でものを決めることができる」。
それこそが、個人が人間として証明される最低条件だと思う。
赤の他人たちが作った空気を有難り、その中で生きるなら、「死んだ方がマシ」と思うのが普通だと思う。

お目当てのジャージとパンツを買った。
帰りの電車の中、いつもなら「早く帰って、これを着て走りたい」と、気持ちが高ぶる。
でも、この日は違った。
「決まった形はない」。
それは、サイクルウェアに限ったことではなく、生き方そのものに直結する。
「決まった形はない」。

※この記事は、2019年2月26日、俺が別のブログに投稿した文章を、加筆、修正したものです。

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