(71)サイクリングロードの橋脚で壁当てをする。野球と俺。-5

俺が少年野球チームに入って間もない頃、監督に引き連れられて、大阪の森ノ宮にある日生球場に行った。
この小さな球場は、かつて、近鉄バファローズのホームグラウンドであり、また、夏の高校野球大阪予選で利用されているのを、テレビで観たことがある。

そして、この日、俺はグラウンドに立ち、最高のパフォーマンスを発揮した。
というわけではなく、少年野球大会の開会式があったので、スタンドからのんきに入場行進を眺めていた。

開会式が終わり、それからしばらくの間、週末になると試合が続く。
俺は、毎試合起用され、最高のパフォーマンスを発揮した。
というわけでもなく、6年生を中心に編成された先輩チームを応援するために、グラウンドに足を運んだ。
長身ピッチャーのM君、パンチ力を備えたキャッチャーH君、俊足のショートI君たち先輩のチームは、連戦連勝を続け、地区優勝を飾る。
チームに入ったばかりの俺は、練習用のユニフォームも無く、選手も少ないこのチームを、ただの弱小チームだと思っていた。
それが、意外なことに強い。

試合にも出れない俺は、野球の練習をすると言うよりも、友達と世間話をする感覚で練習に参加していたが、「真面目に頑張れば、俺も試合に出してもらえるかも」と考えを改める。
守備練習ではレフトフライが取れるようになり、打撃練習でもボールがバットの芯に当たりだし、だんだんと自分が上達していることを感じた。
そうなると、野球が楽しくなり、練習に対して真面目に向き合う(世間話は、相変わらずしていたが)。
結果、少年野球チームに入って2ヶ月ほどで、初の試合出場を果たした。
打順は6番か7番かは忘れたが、レフトでスタメン。
しかも、俺より1学年上の4年生チームである。
ただ、「努力で勝ち取ったレギュラー」ではなく、単に4年生の人数が少なかったので、俺を含む3年生から3人、上で使ってもらえただけの話だ。
バッターボックスには2回ほど立たせてもらい、ヒットは打っていないが、フォアボールを1度選んだ記憶がある。
また、レフトには1度もボールが飛んでこず、俺はただ、砂の上にあるホームの方向を眺めているだけだった。

しばらくすると、同級生の友達数人が入り、我々3年生だけで1つのチームを作ることができた。
そこで、俺は4番サードに抜擢される。
打順もポジションも格好いい。
ただ、試合においてサードゴロを処理したこともなければ、1本のヒットも打ったことがない。
と言うのも、3年生チームができて、2、3試合した後、俺はチームを辞めることになった。
俺は、野球に対しあまりに熱中したため、学校の成績が悪くなり、親に辞めさせられたのだ。
「太ってきたから野球を習え」、「学力が下がったから野球を辞めろ」と、俺を振り回さないでほしい。

以後、自転車が趣味になる30代半ばまで、熱くスポーツに向き合い、満たされた気持ちになったことはない。

※この記事は、2019年3月3日、俺が別のブログに投稿した文章を、加筆、修正したものです。

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