(8)サイクリング中に感じる、「大人の階段を下る」という幸せ

「帰ったら何を食おうかな?」。
「ロードウォリアーズ対男色ディーノ(DDT所属)の試合展開」。
「チェーン店であるはずの天下一品。店によって味にばらつきがあるのは何故か?」。
「阪神の江越が一流選手になるには、何をすればよい?」。
「メイウェザー対男色ディーノの試合展開」。
普通にアホと思われるだろうが、俺は、自転車で長距離を走る時、こんなくだらないことをよく考えている。

必死になって走ると、無心になる。
頭の中が真っ白になる瞬間がある。
だが、逆に、体は動き続けているが、頭は暇なので、くだらないことを深く、幅広く考えていることもある。
そして、「これこそが自転車を楽しむ醍醐味」と、俺は思う。
ダイエット、運動不足解消、あちこちでおいしいものを食べる、仲間とのつながり、そんな魅力が自転車にはある。
プラス、俺にとっては、くだらないことを考えることも、自転車の魅力であり、自転車に乗る動機だ。

毎日夏休み感覚のゆるい学生生活を終え、社会人になった時、一番ショックだったのが、「自分の時間が少ない」ということ。
終電で帰る日常に身を置いていたので、学生の頃のようにゴロゴロしながらテレビを見たり本を読んだり、外で飯食ったりする時間が極端に少なくなった。
当然、くだらないことを考える時間も少なくなる。

生産性の無いことを楽しむ時間は無い。
余裕も無い。
頭の中は、仕事に関するスケジュールばかり。
生きるために仕事をしているはずなのに、「生きていても苦痛しかない。死んだ方がマシだ」と思いながら、ドロドロになるまで働く日々だ。

学生時代、学業は放棄していたが、バイトは忙しかった。
真面目に取り組んでいた。
誰に頼まれたわけでもなく、自分勝手に始めたバイト。
ファミリーマートの店員。
直営店でバイトしていたこともあり、少し厳しい環境ではあったが、今思うと、バイト自体が道楽だった。
社会人になってからの仕事は、道楽ではない。
「金なんかいらんから、頼むから寝る時間をくれ」、「洗濯する時間をくれ。クリーニング屋に行く時間をくれ。出社しようにもスーツがヨレヨレやねん」と何度悩み苦しんだことか。
俺は、くだらないことを考える時間を、余裕を、心から欲した。

ここ数年は、日常に、サイクリングを楽しむ時間を設けている。
時間的余裕が少しはできた。
サドルにまたがり、頭が真っ白になることもあれば、くだらないことを考えながら、数十㎞を走る。
心から、贅沢な時間だと感じる。
あまりにもくだらないことを考えすぎて、「大人の階段を下る」。
そんな自分に気づく時もあるが、「今の俺は幸せだ」と実感する。

※この記事は、2019年1月19日、俺が別のブログに投稿した文章を、加筆、修正したものです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする