(129)鳴門と俺。四国の片隅を走り、思い出したこと。-4

ドイツ村公園を2分で堪能し、「道の駅 第九の里」を目指して、俺は走った。
ここで、時間を潰そう。
帰りの時間、15時までには、まだまだかなりの余裕がある。

道の駅 第九の里。
ここにある売店の外観は、捕虜収容所の兵舎になっている。
「ちょっとおもしろそうやな。中に入ってみよか」と思ったが、やはりためらう。
どうしても、ロードバイクから目を離すのが嫌なので、外から眺めることしかない。
今回に限ったことではないが、ひとりでロングライドに出ると、盗難の恐れを感じてしまうのだ。
なので、行動に制限がかかり、けっこう不便。
せっかく高松に行っても、うどん屋に入れない悲しい経験を何度も繰り返している。
また、他人を信じない自分に気付き、自分自身に嫌悪感を抱いてしまう。
そもそも、それほど高いロードに乗ってるわけでもないのにね。

目と鼻の先に、鳴門市ドイツ館という歴史資料館があるが、ここも外観だけ見る。
中には入らない。
観光は、一瞬で終了した。

まだ帰りの待ち合わせには、時間が有り余っている。
俺を車で鳴門に連れてきてくれたNさんは、今、鯛釣りに夢中だろう。
俺は、何をして時間を潰そうか考えるのも面倒になり、施設前の階段に座って、ただひたすらぼんやりした。

しばらくすると、「予定より早くあがります」とNさんからメールがきた。
どうしようもなく暇な時間から解放された俺は、張り切ってクランクを回した。

待ち合わせ場所である渡船乗り場に向かって走る。
途中、田畑が見え、鳴門線の線路が見える。
その先に教会前駅がある。
俺の中で、何かひっかかる教会前駅。
次に訪れるのはいつになるのかわからないので、「2~3分でも寄っていこう」と思った。

ただの無人駅だった。
改札も無ければ、切符売り場も無い。
売店も無ければ、駅員もいない。
あるのは、ホームだけ。

「駅名が『教会前』というからには、駅前にキリスト教の大きな教会があるのかな?」
辺りを見回すと、天理教の教会があった。
俺は、天理教を信仰しているわけでもないので、この駅と自分に縁があるとは思えない。
でも、何かひっかかる。

「俺と教会前を結び付ける何かとは?」
それを考えながら走る。
道の両側に少しずつお店が増え(閉まっている店も多いが)、鳴門市の中心地に進んでいることを実感した。

鳴門駅の駅前ロータリーに出る。
「さすがに、ここは無人駅ちゃうよな?」と思いながら、鳴門駅を通り過ぎた時、思い出した。
一度も会ったことがない俺の祖父が、鳴門市出身だったことを。

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