(130)鳴門と俺。四国の片隅を走り、思い出したこと。-5

俺は、父方の祖父とは、一度も会ったことがない。
俺が生まれるかなり前、既に亡くなっていたからだ。

戦争中、兵隊にとられ、南方で終戦。
マラリアにかかり、戦地から帰ってから、しばらくして亡くなった。
以前、親からそう聞いたが、俺の中で、母方の祖父の話と混同している部分もあるかも知れない。

子供の頃、父方の祖母の家で、古いお札や国債(今では紙クズ)を見せてもらった時に、祖父の軍隊手帳に触れたことがある。
変色し、傷んだ手帳には、細かな字がじっしりと書き記され、まだ幼い俺には解読できない箇所が多かった。
ただ、ある日付と「大連」という漢字は、今も記憶にある。

父方の祖父は、若い頃、鳴門にあるえらく貧乏な家に養子に行ったらしい。
戦争前には、大阪に出て結婚し、生活の基盤を築いていたと思う。
今でも鳴門には親戚がいるはずだが、俺は長らく会っていない。
いずれ父が亡くなり、俺のようなぼんくらの代になれば、関係は無くなるだろう。

その鳴門にある親戚の家に、俺は行ったことがある。
一度目は、幼すぎて記憶には無いが、何かの事情で墓を改葬する手続きの際、寄ったそうだ。
確か、母からそう聞いた気がする。
二度目は、ロードバイクに乗って鳴門を走ったおかげで思い出した。
俺が小学校6年生の時。
確か、ゴールデンウィーク中のこと。

家族でフェリーに乗り、徳島へ。
徳島から鳴門まで電車に乗った。
ちなみに、厳密に言うと、徳島では「電車」ではなく、「汽車」が正解らしい。
理由は、「徳島の鉄道は、電気ではなく、軽油を燃料にしているディーゼル車だから」だそうだ。
うん、ちょっとしたトリビアである。
いつの日か、コンパでこれを披露し、女性の目をかっさらいたいと思う。

途中、乗り換えの際、小雨の中を家族3人、ある駅のホームで、次の電車(汽車?どっちでもええわ)を待つ。
俺は退屈しのぎに、辺りをうろついていると、衝撃的な光景を目の当たりにした。
そして、急いで母の元に駆け寄り、こう伝えた。
「お母さん!ここの電車、線路が1本しか無いで!」
電車の中で、「それにしても不便なとこやなぁ」と思いながら、母から単線について説明を受けた。

「着いたぞ」と父に言われ、降りた駅が、教会前駅だった。
キヨスクもコンビニも無い駅。
雨は大降りになっていた。
駅前のやや広い道に、1台の車が止まっている。
その脇に立っている、眼鏡をかけた太目のおっさんが、こちらに向かって手を振った。
どうやら、親戚のおっさんらしかった。

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