(765)最高の一杯と、揺れる俺の心-後編-

桐麺。
並んでいる客は、俺とNさん(50代 男性)、知らん人、知らん人の計4人。
11時になり、開店。
入店。
10席ほどあるカウンターの、端に近い席に座る。

「さてと…」。
今の今まで、「もうね、ラーメン食うために遠征して並んで…って、アホらしいわ」と、脳内で文句を言いまくっていたが、ここまで来たら楽しませてもらおう。
桐麺の一杯に。

「ご注文は?」。
女性店員に尋ねられ、メニューに「オススメ」と記された「桐麺しょうゆ」を選択。
さぁ、美味いラーメンを食わせてもらおう。
楽しませてもらおう。

待っている間、入口をぼんやり眺めると、1人、2人、3人…。
続々と入店する客。
すぐに満席。
「さすがですね。やっぱり人気店ですよね」。
隣に座るNさんに話し掛けようとしたが、仕切りの向こうで彼はスマートフォンの操作に熱中。
TwitterかInstagramでもしてるのだろうか?
まぁ、いい。
それはいい。
俺は俺でスマホをいじり、ラーメンが出てくるのを待とう。

ジャケットの胸ポケットからスマホを取り出す。
と、「うっわ!」。
気付かなかった。
取引先からの不在着信通知。
「面倒くさい話やろ?勘弁してくれよ…」。
更に…だ。
メールの通知まである。
「誰からや?」。
確認したところ、母親。
「うっわ!」。
取引先に母親。
俺が連絡を恐れている連絡No.1、2、揃い踏み。
何だろう?
この、万力で心臓を締め付けられる感覚。
素直に「死にたい」と思った。

「お待たせしました」。
桐麺しょうゆと向き合い、レンゲを手に取る。
が、食欲は湧かない。
正直、ラーメンを食っている場合ではない。
取引先からの連絡が、気になって気になって仕方が無い。
経験上、仕事関係の電話はロクな話ではない…のだ。

うん、ロクな話ではない。
おそらく、追加の作業依頼かスケジュールの変更。
いずれにしても「面倒くさいよ…」だ。
本当に「勘弁してくれよ…」だ。
ただ、仕事において文句は言えない。
文句を言わず消化し、結果を残すのみ…と頭では分かっている。
が、気持ちは別。
普通に病む。

「ラーメン食ったら、折り返し電話せなあかんな」。
「電話の内容は分からんけど、どうせロクな話ちゃうわ。最悪のケースを想定しよ」。
「とりあえず、スケジュールの見直しと重労働の覚悟はしとかな…」。
頭の中で工程表を開き、難易度★★★から難易度★★★★★に書き換えつつ、スープをひとくち飲む。
と、「え!?めっちゃ美味いやんけ!」。
濃厚でありながらも、泥臭くない鶏白湯。
俺の好みだ。
「これ、スープだけでもガンガン飲めるよな」。
「美味い…としか言い様が無いわ」。
魂が揺さぶられる感覚。
自然と食欲が湧いた。

しかし…だ。
ラーメンを食った後の自分を想像すると、溜め息しか出ない。
取引先に電話を掛け、ロクでもない話を伝えられる。
そして、「分かりました。その作業も自分の方で対応させて頂きますよ(ニカッ)」とか言うのだろう。
心の中では、「面倒くさいわ、ボケ!」と思いながらも。
「あ~あ」。
うんざり。
心の底からうんざりしつつ、箸で麺を掴み、そしてすする。
「あら?」。
「これ、めっちゃ美味いやんけ!」。
さすが、桐麺だ。
事前に、ネットで「素材にこだわった自家製麺」という情報を得ていたが、確かに…だ。
ひとり頷く俺。

いや、頷いている場合ではない。
麺をすすっている場合ではない。
この後、俺は母親に返信しなければならないのだ。
母親から来たメールの内容は、「元気にしていますか?病気などしていませんか?」。
他愛もない短い文章…かも知れないが、俺は子供の頃から知っている。
母親が、常軌を逸した心配症であることを。

俺がひとりっ子だから…なのかも知れない。
母親は、俺に対して有り得ないレベルで心配する。
「息子はコロナにかかって死にかけていないか…?」。
きっと、心配で心配でいてもたってもいられないだろう。
そんな母親を想像すると、こちらこそ母親が心配で心配で、いてもたってもいられない気分になる。
「あかんわ」。
頭がおかしくなりそうだ。
もう、ラーメンを食っている場合ではない。

箸を置き、席を立って外に出たい。
早く、母親にメールを返し、取引先に電話を掛けたい。
ただ、ラーメンを残すことに抵抗を感じる。
普段、どんなくそ不味い食べ物でも残せば罪悪感を覚えるが、こんな美味いラーメンを残した日には、罪悪感どころの騒ぎではない。
一生後悔するかも知れない。

「よし、食うことに集中しよう」。
そう誓い、チャーシューに箸を伸ばしたが、どうしても頭をよぎる。
心配する母親の顔が。
「どうしょう…?心配を解消し、安心してもらえる返事を書かなあかんわ…」。
「『はい、元気です』やと素っ気さすぎるし、何か嘘くさいよなぁ」。
「じゃあ、『鼻炎で辛い日もありますが、元気にしています』でいこか。『鼻炎』を出すことでリアル感が増す」。
とりあえず結論は出た。
返信内容は決まった。
しかし、これが正解かと言うと、いまいち決め手が無い…気もする。
「ほんま、どうしたらええねん…?」。
悩み、苦しみつつも、チャーシューを口に入れる。
と、「え!?めちゃめちゃ美味いやんけ!」。
俺が注文した「桐麺しょうゆ」は、780円。
「お情け程度にペラペラのチャーシューが乗ってるんやろう」と、まったく期待していなかったが、俺の予想は甘かった。
分厚くて旨味のあるチャーシュー。
「これ、最高やな!」。

この後も、心臓が握り潰されそうになる感覚と、味への感動を繰り返し、ただの食事では有り得ないレベルで精神に疲労を感じた。
桐麺。
本当に美味しいラーメンを食べさせてくれたと思う。
次に訪れる際は、精神が安定した状態で、じっくりと味わいたい。

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