(189)高2の夏、大阪の街を走り回った。~大大阪~

ボロ自転車(3輪)に乗って、中元の配達をするバイト。
あれは、Jリーグが出来て間もない時期なので、ずいぶん昔の経験だ。
思い返すと、辛い記憶よりも、人によくしてもらえた記憶の方が圧倒的に多い。
バイト先の社員、先輩、お客さん、街の人々。
回りに、優しい人が多かった。
特に印象に残っているのが、長堀橋の人。
今でも、強く感謝の気持ちを抱いている。

その日の配達は、繁華街ではなくオフィス街を中心に回った。
昼過ぎだったと思う。
会社を出て、向かう先は長堀橋駅周辺。
心斎橋筋商店街の少し東側にある。
この長堀橋から、隣の堺筋本町や本町を含め、オフィス街。
ビルだらけで景色が変わらないため、自分がどこにいるかわからなくなったことがある。

長堀通り沿いの会社(お客さん)に、数個の荷物を届けた後、堺筋と長堀通りの交差点の横断歩道を渡ろうとする。
「え?どういうこと?」。
異変が起きた。
急に、ペダルが重くなったのだ。
気合いを入れて踏んでも、びくともしない。
「とりあえず、落ち着こう」と、原因究明に努める。
「落ち着こう」。
ボロ自転車の前輪は、歩道にある。
後輪(×2)と荷台+荷物は、横断歩道(車道)にある。
「なるほど。後ろが重たすぎて、歩道と車道の段差を登られないのか」。
そして、「この状況を、どう打開すればよいだろうか?」と考えかけた時、2回目の異変が…。
自転車が、後方に動き出したかと思うと、そのままひっくり返った。
後輪(×2)と荷台が底となり、前輪が虚空を掴むかのようにそびえ立っている。
「悲惨すぎる…」。

間一髪で俺は自転車から降り、怪我は無かったが、ジーパンに穴が開いた。
KENZO JEANSの富嶽三十六景がデザインされた、お気に入りのジーパン。
12,000円ぐらいしたと思う。
精神的ダメージは計り知れないが、この時、俺の置かれている状況は、ジーパンどころの騒ぎではない。
自転車を走れる状態に戻し、歩道に乗せないといけない。
信号が変われば、車に迷惑をかけてしまう。

ハンドルに手をかけ、上に向いた前輪を地面に戻そうとしたが、荷物が重たすぎてびくともしない。
「悲惨すぎる…」と、また思った時、見知らぬおっちゃんが声を掛けてくれた。
「大丈夫か?」。
白いカッターシャツに、グレーのスラックスだったと思う。
眼鏡をかけ、七三分けの60代。
南海やダイエーホークスで監督をされていた、杉浦 忠氏に似た顔立ちのおっちゃん。
ふたりで荷台とハンドルに力を掛けたが、これまたびくともしない。
「ちょっと、手伝ったってー」。
おっちゃんが、近くを歩く兄ちゃんに声を掛けた。
背が高く、もともとラグビーかアメフトをしてた人なのか、がっちりした体つきの兄ちゃん。
兄ちゃんは、カッターシャツの腕をまくり、3人がかりで力を入れる。
「いけた」。
なんとか、前輪が地面に着き、走ることが可能になった。

「ありがとうございます」。
「ありがとうございます」。
俺は、おっちゃんと兄ちゃんに頭を下げた。
見知らぬ俺を助けてくれたふたり。
「感謝の言葉、何度言っても足りひんわ」と本気で思ったが、仕事中で、おそらく時間が無いふたりは、手を振って去っていった。
「あ、俺も仕事中やったわ」と、ペダルを踏んで、次のお客さんの元へ向かう。
走りながらも、「転倒した衝撃で、割れ物の荷物が破損してへんかな…?」と不安を感じていたが、数日経っても社員からは何も言われなかったので、セーフだったのだろう。

20数年経った今でも、長堀橋のおっちゃんと兄ちゃんを思い出す。
黒門市場の近くで、道に迷っていた俺に声を掛けてくれた、あの風俗店の兄ちゃんにも。
見知らぬ俺に、親切にしてくれた人たちがいたのだ。

これを読むあなたは、大阪の人についてどんなイメージを持っているだろうか?
「厚かましい」、「馴れ馴れしい」、「うるさい」。
俺が思うに、大阪の人は、自分と他人との距離を近く置く人たち。
人によっては、「お節介」と感じられるかも知れないが、良い方向に作用すると、「親切」。

と、この記事を書いていて、ふと思った。
「俺、観光大使でもないのに、何を大阪いいとこアピールしてるんやろ?」。
「まぁ、生まれ育った街のためなら、ひと肌脱ごか」という気もしなくはないが。
よし。
オファー、お待ちしております。
松井 一郎 大阪市長。

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