(810)Bianchi ARIAで大阪臨海線を走って墓参り~12月30日の選択~

あまりにも強い向かい風を避けたいと、車道を走らず、浜寺公園の遊歩道を進む。
が、進む方向は同じ。
風向きも同じ。
「もう、許して…」
泣き言を言いながら、脚を回す俺。

「おい…、今日はたまたま風が強い日なんか?」
「もし、そうやったら、墓参りライドは明日にして、今日はAと飲みに行った方がよかったかなぁ?」
実は、この日、学生時代からの友人Aから「飲みに行こう」と誘われていた。
ただ、どうも気が進まず、墓参りを優先した(次第です)。

繰り返す。
友人Aと一緒に飲むのは、気が進まない。
率直に言って、「人生の無駄」としか思えない。
「世の中ってのはな、~~で~~なんや(ニヤッ)」
「人間ってもんはな、~~で~~って決まってるんや(ニヤッ)」
「人生はな、~~で~~やねん(ニヤッ)」
誰も聞いていないし、誰も頼んでいないのに、気持ち良さそうに語るAと過ごす時間は、俺にとって「人生の無駄」。

ちなみに、友人Aは、世の中のことも人間の本質も知り尽くしている、賢者ではない。
学生時代から、人に評価される能力は無く、人に羨ましいと思わせる現実も一切無く、あるのは無駄に肥大化したプライドだけ。
そのせいで、人に共感される人格も養えなかった。
まぁ、自己評価はやたらと高いが、他人から見ると「森羅万象を知り尽くした…つもりの底辺学生」で、今現在は「大物気取りの低所得者」。
存在そのものが、高度なギャグである。

知り合ったのは、20年以上前。
当時、俺は大阪に住んでおり、友人Aは京都。
この、「京都」と「大阪」の時点で、Aは何度もマウントを取ってきた。
「大阪はなぁ、~~やからなぁ(ニヤッ)」
「大阪に住んでたら、~~やろ?(ニヤッ)」
まぁ、お上品で高貴な京都市民であらせられる彼からすると、大阪は一段も二段も下…なのだ。
それはそれで結構。
ただ、理解できないのが、京都市民様である彼が、何故、大阪の学校に入ったのか?
誰もお願いしていないのに。

これだけではない。
「どちらが上で、どちらが下で」。
そんな世界に住む友人Aは、唐突に人を見下してくる。
「お前、変な新興宗教に入りそうやな(ニヤッ)」
「お前、マルチ商法に引っ掛かりそうやな(ニヤッ)」
「お前、将来、日雇い労働者になるんやろなぁ(ニヤッ)」
顔を突き出し、口は半笑い。
そして、左の頬を上げて「ニヤッ」。
セリフと顔で人を見下し、本人は「あぁ、気持ちええなぁ」だろうが、見下された側の俺は面白くない。
「キレたろか」と思ったことは、何度もあった。

ただ、思っただけで、実際にキレたことは無い。
理由は、俺と友人Aの2人しかいない場合、俺がキレてしまうと会話が成立しなくなる。
それを避けたかった。
また、まだ当時は「根拠の無い自信を持った坊や」や、「プライドだけは一丁前」が許される年頃だったので、俺は目をつぶった。

社会人になってからも、年に2回ほどのペースで友人Aと会い、酒を飲んだ。
Aは、相変わらず。
誰も聞いていないのに、社会や人間の本質について気持ち良さそうに語り、最後に「ニヤッ」。
「まぁ、お前に言っても分かれへんやろなぁ」という意味を込めた「ニヤッ」。
まったく成長の無い、この「珍獣」に、俺は怒りよりも興味を抱き始めた。

勘違いが許される年頃を経て、社会に出る。
そして、人と向き合い、現実と向き合う中で、自分の愚かさに気付かされ、改める。
多くの人が、そんな成長ルートを進む…と、俺は思うが、Aは別ルートを進んだのか?
いや、成長できなかっただけか。

「プライドに支配された下等動物」は、世の中において「腫れ物」。
友人Aは、腫れ物…のため、人に向き合ってもらう機会が極めて少なく、自分の低次元さに気付くことができなかった。
また、生きている中で、嫌でも現実に向き合わされるが、「ひとりよがりの世界でしか生きられない惨めな生き物」であるAは、結局、ひとりよがりの世界に逃げてしまった。

以上の通り、俺なりに仮説を立てたところ、率直に「こんなんと関わったらあかんわ…」。
友人Aと距離を置くことにした。
が、誘われるたびに「仕方が無いなぁ」と出向く俺。
まぁ、俺が彼に対し抱いている感情は、「軽蔑」だ。
ただ、「同情」もある。
「誰にも相手にされないカス」を哀れみ、また、その戯れ言に付き合ってあげるのは「優しさ」と思った。
結果、俺は間違っていた。

30を過ぎ、40を過ぎ、歳を重ねる毎に、友人Aに覚える違和感は増大する。
例えば、俺が普段接している同世代の人間は、「自分にとって都合の悪い現実と戦っている人」。
片や、Aは「自分にとって都合のいいファンタジーの中で生きているもの」。
根本的にレベルや性質が違うので、話の内容も違う。
前者は客観的。
後者は、主観的。
誰も頼んでいないのに、社会について、これからの日本について語るAに、何度か根拠を聞いたことがある。
で、根拠はいつも「感覚」と「経験」。
低次元な生き物が持つ、短くて精度の低い物差しで測った世界。
それが、彼の中ではすべて現実…なのだ。
「うん、会話にならんな…」
俺は諦めた。

クランクを回しながら考える。
「やっぱり、墓参りで正解やったよな」
「ほんまやな」
「アホの相手するより、よっぽどええわ」

クレジットカードも作れない、社会におけるクレジットの無いAから、社会の構造について聞かされる時間。
まるで人類代表のような口振りで、人類の恥のようなAから、人間の本質について聞かされる時間。

それらを想像すると、強い向かい風の中、どれだけ苦しんでもいい。
走ることが有意義に思える。

つづく

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