(668)サイクリングロードに潜む悪魔

4月3日の夕方、近所のサイクリングロードを走る。
ここは往復20㎞程度なので、ちょっとした運動やちょっとした暇潰しには丁度いい。
復路も終わりに近付き、ほどよい疲労感を感じつつ、俺は脚を止めた。
鼻をかむために(俺は鼻炎)。

道の脇に立つ松の木にロードバイクを立て掛け、ジャージのバックポケットからティッシュを取り出す。
マスクをずらし、「さぁ、鼻かもか」のタイミングで「こんにちはー!」。
誰かから声を掛けられた。

「何?」と思い、振り返ると、知らないおっちゃん。
Tシャツにジーパン、野球帽。
「もしかして、どこかの飲み屋で知り合って、一緒に飲んだことがある人やろか?」。
おっちゃんをじっと見詰める。
「知らん人やな」。

ママチャリのサドルに股がったまま、おっちゃんは俺に近寄ってきた。
満面の笑みで。
俺としては、「誰か知らんけど、一応、こっちからも挨拶しとこか」と思い、「こんにちは」と言い掛けた。
が、被せてくるように、「そこのサンワでな、100万のTREKが65万で売ってるで!」。

サンワとは、尼崎の「サイクルセンターサンワ」。
阪神間にある、スポーツバイクの名店だ。
俺も今まで何度か伺った。
まぁ、それはそれとして、いきなり「そこのサンワでな、100万のTREKが65万で売ってるで!」と言われても、「こいつ、酔っ払ってるんか?」だ。

 唖然としている俺に、おっちゃんは話し続けた。
「『頭金入れてくれたらええで』って言われたんやけどなぁ、ワシ、今、ロード2台も持ってるねん。TREKや」。
急に話し掛けてきて、誰も聞いていないのに自分のペースで話すおっちゃん。
「こいつ、薬でもやってんのか?」だ。

俺は無言で引きまくっていると、「ワシな、定年退職でな、退職金もらって、前にロード買ったんや。サンワでな」。
誰も聞いていないし、興味が無い。
そんな話を急にされ、俺としては「こいつ、狂ってんのか?」だ。

「こわっ…」。
恐怖心と生理的嫌悪感が湧き上がると同時に、「あ、『退職金』で思い出したわ…」。
以前、阪神しまなみ海道を走った後、俺が作業する事務所に寄った時のこと。
事務所が入る雑居ビルの前で、シューズの裏にクリートカバーをはめていると、知らないロード乗りに話し掛けられた。
「定年退職したからな、退職金でロード買ったんや」。
「家ではこんなトレーニングをしててな、マッサージもやな、なんとかかんとかや」。
「ジャージ買うんやったらサンワやで」。
「これもこれもこれも、サンワで買ってやな」。
「この前、鹿児島に行ってな、中国人の観光客と友達になってな、ええ部屋に泊まれてやなぁ」。
「今度、舞鶴からフェリーに乗って北海道行くんや。北海道をロードで走るんや」。
誰も聞いていない上に、興味が無い話を一方的にされ、俺は「詰められている」気分になった。

かったるい橋をクリアし、深江浜を観光せずに北に走る。43号線に向かって。 トラックが多く、トラック以外の車もまぁまぁ飛ばして...

「最悪や…。あの時の奴やんけ…」。
前に会った時、おっちゃんはロードに股がっていた。ジャージにレーパン姿。
ヘルメットを被り、アイウェアを掛けていたため、顔がわからなかったのだ。

悔やむ。
俺が鼻をかんだせいで…、俺が鼻炎のせいで…、面倒くさいのに捕まった…。
悔やんでも悔やみきれない。
「あぁ…」。
空も川も木も草も、全てが薄暗く見える中、おっちゃんは誰も聞いていないのにまだ話を続けた。
「今度な、ロードで九州に行くんや」。
「九州の○○高校、野球強い学校あるやろ?」。
「あそこの監督と知り合いでな、『遊びに来てや』言われたんや」。
俺からすると、恐ろしいほどに興味の無い話。
あと、誰も聞いていない。
知りたくもない。

「ワシはなぁ、子供の頃から自転車に乗っててなぁ、転んだ時になぁ…」。
また、死ぬほどどうでもいい話だ。
誰も聞いていない上に、急に話題が変わり、俺を攻め続ける。
「こいつ、何かに取り憑かれてんのか…?」。

苦痛だ。
いきなり死ぬほど興味の無い話を聞かされ、それが延々と続き、俺にとっては苦痛でしかない。
「こいつは害悪や」と素直に思う。
ただ、他人に対し「この人は悪い人だ」と決め付ける自分にも嫌悪感を覚えてしまうため、「この人は悪くない人だ」と自分を諭した。
「そう、この人は悪い人ではない」。
おそらく、このおっちゃんはひとり暮らし。
普段、人と話す機会が少なく、寂しい日々を送っているのだ。
想像では。
「うん、この人は悪い人ではない。ただ、人よりもおしゃべりなだけ」。
そう自分に言い聞かせつつ、耐える俺。

と、「ワシなぁ、○○駅の近くのな、××でバイトしててなぁ」。
子供の頃の話から間髪を入れず、また話題が変わった。
しかも、全く興味が無い。
おっちゃんがどこでバイトしてようが、死ぬほど興味が無い。
一方的に興味の無い話をされ、詰められ続け、俺のストレスも限界に近付いた。
「知らんわ、ボケ!」と怒鳴りたい。

そもそも、俺は趣味を聞かれて「ボランティアです」と答える人間ではない。
相手に誠意や常識があれば、それに答えようとは思うが、おっちゃんは俺の都合や俺の気持ちなど考えず、狂ったように話し続けているだけ。
「うん、こいつに誠意は不要や」。
適当なタイミングを見計らい、「『忙しいんで帰ります。さよなら』でええやろ」と判断。

さっさと別れを告げるつもりが、おっちゃんの話は止まらない。
ただひたすら好きなことを話し続け、話題もコロコロ変わる。
そして、極めて悪質なのが、話題が変わる際、間髪入れずに次の話題が始まるため、「俺、帰ります」が言えない。
言うタイミングを与えてくれない。
「もう、ぶち壊してまおか」。
「相手の面子なんか、どうでもええわ」。

気持ち良さそうに話すおっちゃんには悪いが、話の途中で「俺、忙しいんで!この後、予定あるんで!(本当は無い)」。
逃げるようにその場を去った。

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