(156)読者のあなたへ。彩りの無いブログで申し訳ないです。-4

小学校に入って間もなくだっただろうか。
夏の日、家族、親戚と一緒に、伊勢神宮にお参りした。
正殿に辿り着くかなり手前で、俺は「トイレ行くわ」と親に声をかけ、トイレに駆け込んで用を足した。
そして、親の元に戻ろうとしたところで、知らないおばあちゃんに声をかけられる。
「ぼく、ぼく。ええのあげるわ」と。
「知らん人が小遣いでもくれるんか?」。
俺が、手を差し出すと、おばあちゃんは、俺の手のひらに蝉を置いた。

今の俺は、虫に触るのは無理だが、子供の俺はそれが嬉しくて嬉しくて、知らないおばあちゃんに礼を言い、母親に向かって走っていった。
「知らん人に蝉もらってん」と報告すると、「逃がしなさい」。
「ここは、神様がいる所やから、そこに住む蝉は持って帰ったらあかん。神様に返しなさい」と。

「なるほどな」。
子供の時分にも伊勢神宮に来たことを思い出した。
20代後半の俺。
会社で地獄を見た俺は、プロジェクト休暇を利用して、伊勢神宮の内宮をお参りしていた。
「あの蝉は、天照大神に仕える蝉やったんやわ」と思い、少し可笑しくなった。
「そういや、上品な顔立ちやったわ」。

辛い日々が続くと、自然や神秘的な場所に行き、自分を洗いたいという意識が働く(俺に限ったことではないと思うが)。
その日、俺は、男友達との旅行で、伊勢神宮に立ち寄ったのだ。

五十鈴川を泳ぐ鯉を見ながら、宇治橋を渡り、砂利道を進む。
やがて、人だかりが見え、その先に正殿が御鎮座しているのだが、参拝者のマナーがとにかく悪く、不愉快な印象が残った。

警備を担当する職員の人が、「正殿の写真撮影はご遠慮下さい」と何度も言っているのに、参拝者の多くは携帯電話を手にして、カシャカシャ、パシャパシャと写真撮影をしている。
「するな」と言われていることが、理解できないのだろうか?

この時、俺は複雑な気分になった。
携帯電話のソフト開発を仕事としていることに、俺なりにプライドを持っていたが、「俺が向き合っている仕事は、マナーが悪い、子供のような大人が遊ぶ玩具を作ることなのか?」と自分に問いかけた。
また、嬉しそうに写真を撮る集団を見て、「こうはなりたくないよな」と思う。

以来、俺は写真を撮ることに抵抗を感じた。
知人と一緒に飲食店に入っても、料理が出てきて、食べる前にまず写真を撮る人とは、一緒にいて違和感がある。

こういった経験を繰り返し、俺は人前で写真を撮らなくなった。
有り難がって、パシャパシャ写真を撮っている姿を人に見られたくない。
ロングライドに出て、ごく稀に景色の写真を撮る時も、まわりに人がいないことを確認して、シャッターを切る。
それが、俺にとっての当たり前。

ただ、今のところ、せっかく走った足跡を、あまりにも残さなすぎて、それはそれで寂しい。
また、写真が少ないということは、記事にも掲載できないので、彩りの無いブログになってしまう(いや、既になっている)。

これからは、まわりに人がいないことを確認しながらも、積極的に景色の写真を撮り、思い出を残しつつも、このブログにアップしていきたいと思っています。
読者のあなたへ。
今後とも、宜しくお願いします。

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